長澤まさみと「シン・ウルトラマン」




以下、ネタバレを含みますのでご注意ください

話題作の「シン・ウルトラマン」が公開されました。SNSで見る限り、概ね好評のようです。私も初日に鑑賞し、面白く観ました。大前提として、樋口真嗣が監督としてクレジットされているこの作品を庵野秀明という作家性のもとに語ることの適正さがあると思いますし、「シン・ゴジラ」ほどには庵野秀明は制作に関わっていないのではないか、という程度問題があるように思います。とはいえ庵野秀明のブランド力が無ければ成立し得ない企画でしょうし、彼自身の責任の元に世に送り出した作品でしょうから、ここでは一旦この作品の骨格は作家・庵野秀明の手によるものであるという前提で進めたいと思います。

私は、世代的には庵野秀明より5歳下です。彼が多大な影響を受け創作の糧となっている当時の特撮テレビや映画に触れていた環境でこの5年の差は決して小さくは無いと思いますが、それでも昨年、新国立美術館で行われた「庵野秀明展」で観た様々な「庵野秀明が影響を受けた作品群」を観る限り、自分の幼少期と庵野秀明の原体験は殆ど変わらないと感じました。ただ、大きな違いは私(おそらく、世の同世代の殆どの人も)が同様の体験をしながらも成長するにつれて当然の如くそれらを忘れ、友人たちや学校、社会との関係にやがては囚われていったのに対し、庵野秀明は孤独に、いつまでも、そう、今でもあの頃の特撮に心を奪われた少年のままだということです。幼少期から地続きの高校、大学、アニメーターとしての創作活動をこの展覧会で時系列に観て、私は衝撃を受けました。同じカルチャーに触れていながら、その吸収力とアウトプットに凡人と何と隔たりがあることか。ここまで純粋に少年期の感動を持ち続ける人間は異才というしかない。私はこの展覧会で庵野秀明への見方が変わりました。彼は単なる知識をため込んだだけの「オタク」ではなく、彼の心は60年代の少年のままなのだと。

「シン・ウルトラマン」は、意外なほど旧作に忠実な作品だと感じました。冒頭の「ウルトラQ」にはじまり、ニセウルトラマン、巨大フジ隊員、ゾーフィ、一兆度の火の玉、実相時昭雄的演出など、その選択に癖はあるものの、この作品で描かれるものの多くは60年代の普通の少年たちにとってはごく当たり前の「一般教養」であり特殊な知識ではありません。至極真っ当に当時のウルトラマンを現代に置き換えた作品です。「シン・ゴジラ」がゴジラの新解釈だったのに対し、今作はウルトラマンの解釈は変えずにその本質を現代の技術で描いたもの、という印象です。

ですから、幾らかの反感を買うかもしれませんが、この作品は幼年期に「ウルトラマン」を観て育った、庵野秀明と同世代の当時の少年たちに向けて作られた作品なのです。「ウルトラマン」を知らなくても楽しめる、という評を否定するわけではありませんが、60年代に特撮テレビを自然に見ていた、怪獣の名前を大抵はそらで言えたどこにでもいる少年たち、今や初老に差し掛かった人たちに対して、ただ一人少年のままの庵野秀明から届いた思わぬプレゼントといった作品だと感じます。

終盤、ゾフィーが「ゾーフィ」と呼ばれ、ゼットンを操っている。あれ?と思う展開ですが、私が子供の頃の怪獣本にはゾフィーは「ゾーフィ」と表記され、「ウルトラマンを倒す悪い宇宙人」と説明があったことを鑑賞した後に思い出しました。私は、そんな、殆どの人が忘れていたことを2022年の今も覚えていて今作の設定とする庵野秀明に、またもや衝撃を受けました。これは別段「オタク」な知識ではなく、当時の少年なら誰でも知っていた「一般教養」だったからこそ衝撃的なのです。

そのような印象を持った作品なので多少点が甘いかもしれませんが、この作品の映画としての欠点は些細なことのように私には思えます。物語の整合性、人間ドラマや、リアルな映像技術はそもそも「ウルトラマン」にはさほど必要ないのですから。庵野秀明からすれば戦後の少年たちに多大な影響を与えたウルトラマンというアイコンの核心はそこではない、ということなのでしょう。

最後に、長澤まさみについて。斎藤工以上に主役級で活躍した彼女は「エヴァンゲリオン」の葛城ミサトに代表される庵野秀明的な勝気な女性キャラクターであると同時に、特撮テレビシリーズでの「お姉さん」的な位置づけです。「ウルトラマン」のフジ隊員、「ウルトラセブン」のアンヌ隊員。彼女たちは性に幼い少年たちの憧れの対象であり、幼少期の原体験と分かちがたく結びついています。そのような存在のアップデートとして今日本で最も注目されている女優の一人である長澤まさみの起用は贅沢なキャスティングであると言えます。私には演じる役の幅を広げようとして、少々無理をしているように見えた「MOTHER マザー(20年)」よりも、今作の方が活き活きと演じていて長澤まさみの魅力が十分に発揮されているように見えます。

SNS上ではこの作品の長澤まさみについて、必要以上に性的な演出が為されていると批判もあり、(庵野秀明がそんなに品行方正な作家ではないことは「エヴァンゲリオン」であれ「キューティーハニー」であれ、過去作を観ていればわかりますが、それはさておき)不快に思う観客がいる以上真剣に受け止めるべき批判だとは思いますが、それでも、そのような演出を無化するような一種のおおらかさが今作の長澤まさみには感じられ、この作品の大きな魅力のひとつになっています。

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