綾瀬はるかと「はい、泳げません」
Twitter上でもちょっとした話題になっていたのでこれ以上述べるのも気が引けるのですが、最近映画館で頻繁に上映されていたこの渡辺謙作監督の「はい、泳げません」の予告編を観て、鑑賞意欲が増した人は少ないのではないでしょうか。泳げない金づちの長谷川博己と中年女性たちがプールサイドで賑々しくコミカルに振舞い、綾瀬はるかが演じるコーチに厳しく指導される。お約束のように途中で感動的に流れるJ-POPの歌声。私も何度かこの予告編を観て、この出来の悪そうなコメディを鑑賞する必要は無さそうだなと感じていました。
それでも鑑賞する気になったのは、信頼する映画評論家の何名かがパンフレットに寄稿していると知ったからですが、実際に観てみると長谷川博己演じる哲学科の大学教授の心の奥底にあるトラウマを深く探っていく奇妙なタッチの作品で、予告編のコメディ感からは程遠い、現代的でシリアスなドラマでした。物語は大学教授の小鳥遊雄司(長谷川博己)が、金づちを克服するために薄原静香(綾瀬はるか)がコーチを務めるスイミングスクールに通う姿を描きます。小鳥遊はなぜ今さら泳げるようになりたいのか?その生活には付き合いを始めたシングルマザーの奈美恵(阿部純子)や前妻の美弥子(麻生久美子)の存在があり、やがて金づちであることで防げなかったある事件が浮かび上がります。そして、泳ぐことが小鳥遊の再生の試みであることが明らかになります。
そんな物語ですから、映画はあくまで小鳥遊のインナースペースと深く結びつているのであり、プールでのレッスンや大学の授業でのコミカルな描写も、それを反映してどこか神経症的に映ります。二分割の画面や水族館とプールが一体になったような映像表現もありますが、それさえも自己に没入するあまり周囲が見えなくなってきた小鳥遊の心象と重なります。軽やかなコメディから次第に離れて、人間の精神の再生を描いており、予告編から受ける印象とは大いに異なる作品です。
綾瀬はるか演じる薄原静香もまた心にトラウマを負っており、上手く生きることが出来ません。主演二人が心の傷を乗り越え、恋愛に発展するのかと思いきや、そうはならない。二人の傷はそれぞれの傷として存在し、共鳴することはあっても互いを癒すことは無い。あくまでも個人が乗り越えるべき傷としてそこにある。安易な「絆」や「共感」を拒絶する、硬派な作品です。