南沙良と「幼な子われらに生まれ」
前略 南沙良 様
これがデビュー作とのことですが、この作品はあなたと浅野忠信で成り立っていると感じました。あなたの妹役と浅野忠信の娘役のふたりの子役たちも悪くないのですが、やはりそこには演技をしている・させられている様子があるのに対し、あなたはとても自然で、そこに映っていなくても作品の中心となるほどの存在感がありました。
私は、10代の女性を同年代の女性が演じる際、大きく二つに分けられると考えています。それは、「役を演じる」場合と、「役割を演じる」場合です。前者は勿論その作品の人物を演じるわけですが、後者は作品の中で「一般的に社会に流通している、10代女性のイメージ」を体現することになります。人物造形よりも、女子中高生という、繊細で社会性が無く、理解不能な存在というイメージを観客が共有するためにその役割を演じるのです。
あなたの演技はとても自然に見えますが、それは「役を演じている」というよりも10代女性の社会的イメージの「役割を演じている」ように感じました。勿論それは悪いことではなく、この作品ではそれが求められたということです。付け足せば、重松清の作品の10代女性像は、ほぼこの社会的イメージの集合体に収まっているように思います。
ただ、10代の社会的イメージの女性を演じる場合と少し違うのは、普通は睨むような目つきで表現されがちな不機嫌さが、あなたの場合は長い髪が顔を覆い、目つきが殆ど見えずに、実に憎たらしい口元で表現していたのが新鮮でした。
この作品を特徴づけているのは浅野忠信とあなたの関係性ですが、あなたの演技が殆ど動くこと無く「二段ベッドの上段」に縛られて行われているのも興味深かった。この、家庭の中で誰よりも高い位置から家族を見下ろし、品定めし、命令を出すことが可能なポジションは、家庭の中でのあなたの存在そのものです。家族を監視しながら、一方では誰かに降ろしてもらわなくてはどこにも行けない点も、実に象徴的だと感じました。連れ子として浅野忠信演じる義理の父親の気遣いを無遠慮に踏みにじりながら何でも要求出来るのに、自分一人ではどこにも行けないあなたという存在を象徴しています。
この作品の諸々の問題の根源は、「曖昧さ」です。子連れの者同士の結婚でも、最初から親権を渡した子供に会うのか、会わないのかを決めておけば済む話ですし、(あなたの父親にDVの疑いがあるのであれば、そもそも会おうとすること自体、浅野忠信も田中麗奈も許すべきではありません)浅野忠信が悩む、妻の妊娠も、最初から子供を作るのか、作らないのか決めておけば済む話。そんな曖昧さはあなたも伝染し、工藤官九郎演じる実の父親に何故会いたいのかと浅野忠信に問い詰められても、ただ「わからない」と首を振り続けるばかりです。
実際の人生がこのような曖昧さ、優柔不断さに満ちているという意味では大変にリアルな作品であり、あなたの演技を通した10代少女の不合理な感受性も現実そのままということが出来るかもしれません。私は、作品自体の出来栄えに全面的には賛同しかねるものの、少なくとも今この時にしか映像に刻みつけられないであろう10代女性の不機嫌さを体現した南沙良という女優の誕生は大変に喜ばしく感じました。