恒松祐里と「散歩する侵略者」
前略 恒松祐里 様
私が最もその新作を楽しみにしている監督である黒沢清の新作ですから、初日に劇場に駆けつけました。冒頭の金魚すくいのショットから、少しいつもの黒沢とは違う雰囲気を感じましたが、あなたがすくった金魚を片手に帰宅し、家族を皆殺しにし、(そうではないことはその後わかりますが)予告編でも印象的だった、血まみれで道路を彷徨うあなたの背後でトラックが横転し炎をあげるカットで一気に引き込まれます。
この映画を女優で論じるのであれば長澤まさみを語るのが適当なのかもしれませんが、ここでは恒松祐里に注目したい。改めてあなたのフィルモグラフィーに目を通すと、過去「俺物語!!」「くちびるに歌を」「ハルチカ」で拝見しております。特に「くちびるに歌を」では責任感の強い合唱部の部長を演じ、「ハルチカ」では難聴のクールなクラリネット奏者を演じていた姿が印象的でした。
あなたは今作で、宇宙人に意識を乗っ取られた女子高生を演じており、あなたの生真面目な顔立ちが、人間を客観的に分析する宇宙人の姿に合っているように感じます。
また、あなたはこの作品で、コンパクトで切れの良いアクションを披露しています。黒沢監督は言うまでもなく映画評論でも第一人者であり、アクション映画にも深い理解がある方ですが、不思議と過去作で女性のアクションを演出したケースを余り思い出せません。それが、最近では「SEVENTH CODE」の前田敦子のアクション演出をきっかけに、女性のアクションに目覚めたのでしょうか、あなたのアクションはこの映画の見どころにもなっています。実際、関節技を中心とした、小柄なのに手ごわそうな動きが素晴らしいと感じましたし、唐突に拳銃をぶっ放したり、車のフロントガラスを突き破って銃を撃つ姿も、マシンガンを放つ姿も実に良い。余談ですが、昨年の東京国際映画祭でのキン・フーの「侠女」の上映に黒沢監督の姿を見かけました。今作の撮影は既に終わっていたと思いますが、女性アクションとして、シュー・フォンの演技を興味深く観ていたのかもしれません。
ところで、私は最近の黒沢監督作品を観ると何故か泣いてしまいます。それは「トウキョウソナタ」あたりから、かなりはっきりと黒沢監督の関心が「愛」を描くことに変わってきているからだと思います。それも、きっと以前の監督ならやらなかったであろう、かなりストレートな愛情表現が見られます。今作も、長澤まさみと松田龍平の夫婦愛がテーマになっているのは明らかで、最後には「愛」によって事態が変わっていきます。昔なら、宇宙人の人類乗っ取りというテーマであれば当然D.シーゲルの「ボディ・スナッチャー/恐怖の街」ばりのサスペンス演出を指向したでしょうが、今では、黒沢監督の興味は概念を盗むこと、そのとき「愛」は盗めるのかということに向いているのでしょう。もしかしたら昔からの黒沢ファンはこの変容を通俗的になったと批判するかもしれませんが、私はこれを作家の成熟と捉えたい。そうでなければ、「岸辺の旅」や「ダゲレオタイプの女」のような稀有な傑作に出会うことは出来なかったのですから。(もっとも、サスペンス演出についてはWOWOWでのスピンオフドラマで追求されるのかもしれません。こちらも、とても楽しみです)
そのような変容はありながらも、上空を覆う戦闘機、草むらでの銃撃戦、ちゃっちい発信機、車での男女の道行きなど黒沢ファンがにやりとするような演出も今作には随所に観られます。こだわりを見せながら、このような不思議と風通しの良い作品を生み出す黒沢監督は、今またピークを迎えていると感じています。そして、その作品で重要な役を演じた恒松祐里という女優の今後にも期待しないわけにはいきません。