タラジ・P・ヘンソンと「ドリーム」

前略 タラジ・P・ヘンソン 様

NASAの宇宙開発計画の陰には、黒人女性たちの努力があったという物語。アメリカでは、黒人差別を扱った映画が毎年毎年作られているように思います。最近でも、「フルートベール駅で」「42」「大統領の執事の涙」「ヘルプ」「それでも夜は明ける」等枚挙に暇がありません。それらの作品は、多くはアカデミー賞の候補に上がり、黒人差別が今もアメリカの最大の関心事だということを伺わせます。勿論、ハリウッドの職場には多くの黒人が働いているということもあるのでしょうが、かつて差別があり、やがて完全ではないにせよ和解があり、という物語はアメリカの一種の懺悔のようにも見えます。映画という若い芸術形態にとって「第二次世界大戦」と「黒人差別」は永遠のテーマなのかもしれません。

翻って日本にも差別は存在するのですから、これをアメリカの問題として切り離すことは出来ないし、差別と人権の問題は恐らく永久に人間について回ることなのでテーマとして語りつくされたとは言いませんが、それでも繰り返し作られる黒人差別映画を、毎回日本人がどのように受け止めるべきなのかはもう少し真剣に考えてみる必要があるかも知れません。

この作品は、あなたが演じる、数学の天才として生まれついたキャサリンが、やがてNASAに勤め、志願して宇宙計画の計算担当となりその才覚で計画を成功に導くというものです。黒人女性であるキャサリンは、職場で同僚からの差別を受け、苦しみます。胸が痛むのは、白人によって行われる差別が、特に罪の意識なく無意識に行われている点です。黒人は当然、トイレもポットも白人と別々のものを使う世界に、彼らは住んでいるのです。

この映画で何よりも象徴的なシーンは、繰り返し見せられる、あなたが職場の「東館」と、黒人用のトイレがある「西館」を、ハイヒールで足早に行ったり来たりする姿です。「東館」と「西館」を隔てる道路こそが、白人と黒人を隔てる距離であり、永遠にも思える道のりです。ここでのあなたの身のこなしは、滑稽であると同時に悲哀に満ちたものでした。

さて、この映画は一見黒人差別の不合理を訴えたもののように見えますが、実際にはもう少し違うメッセージが込められているように思います。あなたから差別により仕事がままならないという窮状を訴えられたケビン・コスナー演じる研究本部長は、すぐさまポットに張られている「COLORED」のシールをはがし、翌日には「黒人専用」とあるトイレの札を破壊します。ただ、この行動は黒人差別に対する義憤からくるものでは無さそうです。本部長はマーキュリー計画を成功させることにしか興味が無いのであって、その為に役に立つ有能な人材に十分に働いてほしいだけです。きっと、あなたが計算の天才でなければ、本部長でさえ差別する側に回っていたのではないでしょうか。

あなただけではなく、今作に登場する黒人女性たちは、技能を身に付けることによって差別的な環境から脱した「努力の人」たちです。この作品は、本質的に人間を肌の色で差別してはいけない、という人権的見地に立っているのではなく、「努力は報われる」「努力することにより生まれた環境は変えられる」という、所謂典型的なアメリカン・ドリームをメッセージとしているのです。だから、人種差別を扱いながらも、そこには人間の原罪に触れる重さは無く、むしろ夢が達成されるサクセスストーリーとしての明るさと軽やかさがあるのではないでしょうか。私は、この作品のテーマと成功物語としての達成感は理解しながらも、その陰には才能も無く努力も実を結ばず、差別から逃れることが出来なかった多くの黒人たち、ケビン・コスナーやキルスティン・ダンストに相手にもされない多くの黒人たちがいたことを思うと、暗澹たる気持ちにもなるのです。

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