東京フィルメックス 「暗きは夜」

アドルフォ・アリックスJr監督の「暗きは夜」を東京フィルメックスにて鑑賞しました。現在のドゥテルテ政権の超法規麻薬撲滅政策の苛烈極まりない実態を描いた本作は、同じテーマを扱い、丁度今年公開されたブリランテ・メンドーサ監督の「ローサは密告された」を思い起こさせます。どちらも普通の主婦に見える中年女性が、同時に麻薬の売人です。そして、麻薬の売買、使用の疑いがあればその場で射殺も厭わないマニラ警察や麻薬組織に追い詰められて抜き差しならない立場に立たされる様子が描かれています。同様にドキュメンタリータッチの映像であることも類似性を感じさせますが、映画の構造にはかなりの相違があります。「ローサは密告された」が警察の驚くべき取調べの状態を描くシチュエーションムービーだったのに対し、この「暗きは夜」は麻薬の売人から足を洗った夫婦が、息子が行方不明になったことをきっかけに組織や警察に途方にくれながらも抗う様が骨太の物語として描かれています。

マニラの街角で、カラオケで「ハッピーバースデー」を歌う家族を捉えたオープニングから、ドゥテルテ大統領の麻薬に関わるものには断固たる措置を取るというラジオ演説を背景に、ぎくしゃくした息子との関係に苛立つ母親の姿を経て、行方不明になった息子を探すために、両親が過去に繋がりのあった麻薬組織や警察に命懸けで掛け合う姿が描かれて行きます。そして、観客を打ちのめさせずにはおかない苛烈極まりないラストシーンまで、緊張感が途切れることはありません。両親役を演じる俳優が二人ともとても素晴らしく、印象に残ります。

この作品のユニークなところは、説明的なシーンが殆ど無いため、全てを状況から類推するしかない点です。息子の捜索の中で出会う登場人物たちと母親との関係がはっきりと描かれることが無いため、私たちはこの母親の立場や過去を類推するしかありません。

この母親が麻薬の売人として、相当な腕前だったことは周囲の反応でわかりますが、どのような立場だったのかはわかりません。麻薬密売から足を洗い、口封じの為に組織のボスに殺されることを恐れる身でありながら、一方ではどうやら密告者を消す暗殺者として恐れられてもいるようです。まるで「地獄の黙示録」のカーツ大佐のように厳重な警備に守られた組織の女ボスに息子を返してくれるよう懇願しますが、この女ボスが黒幕でも無いようで、その後に母親が電話する相手は、その更に上の立場のボスです。そして、そのボスと警察はどうも繋がっているらしい。息子が、もし自分の身に何かが起こったらこの男を訪ねてほしい、と伝えた男(何故か両親を見て、逃げ惑う)が結局何者なのかもわからないし、ラスト近くに、母親に「今すぐここを立ち去った方が良い」と告げに来る人物と、次の瞬間家の前の車が爆破されるシーンとの関係もよくわかりません。映画は断片的な状況だけを与え、観客はわけのわからない恐怖を感じることになります。この状況のわからなさから来る不安を更に煽るのが、作品の音響設計です。映画では終始街角で車が往来する騒音が響き続け、夫婦の住む部屋であろうと警察のオフィスであろうと止む気配がありません。私たち観客は、この騒音を生活臭が染みついた映像と共に突き付けられ、主人公の夫婦とともにマニラの雑踏に放り込まれることになります。

この作品の映画的なクライマックスは、母親が命乞いをして来た密告者を銃で殺害する場面です。夜の道を一人歩く密告者を正面から捉えたカメラから漂う緊張感に、観客は「絶対に彼女は次の瞬間殺害される」と確信し、実際にそのような結末になります。ラフなドキュメンタリー風な映像で綴りながら、このようなサスペンス溢れる演出が出来るアドルフォ・アリックスJr監督の手腕が光ります。

どうも一連の出来事は警察の仕組んだ巧妙な罠だったことを匂わせ、映画は終わります。その後、エンドクレジットではドゥテルテ大統領の演説が流れます。(字幕が無いためはっきりそうとは言えませんが)私は、このような苛烈な麻薬取締を行い、国連からも非難されるドゥテルテ政権に恐怖を覚えますが、一方でこのように正面切って現政権の批判を行う作品を堂々と海外の映画祭に出品できるフィリピンという国の自由さ、多様さにも関心と敬意を払うべきなのかも知れません。少なくとも、今作や「ローサは密告された」、ラブ・ディアス監督の「立ち去った女」と、映画においてフィリピンは実に豊かな国であることは間違いがありません。

 

 

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