【映画評】小松菜奈と「坂道のアポロン」

前略 小松菜奈 様

三木孝浩監督作としては16年の「ぼくは明日、昨日のきみとデートする」に引き続いての主演です。三木監督自身、インタビューで”初めて同じ女優に再び主演を依頼することになった”と控え目に発言していますが、常に旬の女優を起用して青春映画を撮り続けている監督をして連続の主演ですから、今、他の女優では得難い魅力があなたにはあるということだと思います。荒唐無稽な物語である「ぼくは明日、~」を真摯な恋愛映画として成立させていたのはあなたの真っすぐな演技があってこそのものでした。

映画は、60年代の佐世保を舞台に、東京からの転校生・西見薫(知念侑李)が不良少年・川渕千太郎(中川大志)やその幼馴染・迎律子(小松菜奈)とジャズを通じて友情や初恋を育む青春物語です。音楽や学校の屋上、文化祭や、「くちびるに歌を」「アオハライド」でも描いてきた長崎の風景と、三木孝浩監督が何度も描いてきたモチーフが繰り返され、監督の現時点での総決算といった趣もあります。特に知念侑李と中川大志のジャズセッションは吹き替えなしという裏話が俄かに信じがたい躍動感に満ちていて、さすがにミュージックビデオ出身の三木監督らしい仕上がりです。

また、この作品には映画的な主題として「高低差」と「視線」が見て取れます。題名通り、長崎の坂道が幾度となく映画に登場しますが、この「高低差」は時に長身の千太郎、律子と背の低い薫の身長差につながり、一方では実家が病院の子息という薫と捨て子の千太郎という身分差として反転され、更には彼らがジャズセッションを楽しむ秘密の隠れ家である地下室にスパイラルしながらつながります。

今作は男女の恋愛映画というよりも男同士の、時にはホモセクシュアルな関係も感じさせる友情映画です。薫と千太郎の出会いや教会での二人並んでのショットは、通常なら男女関係の演出です。背の低い薫は常に見上げながら、千太郎は見下ろしながらその視線を交差させるのであり、あなたはそんな二人の友情とも愛情ともつかぬ関係を少し遠くから見つめるのです。もしくは、千太郎と深堀百合香(真野恵里菜)の海辺の出会いを見つめるあなたは、千太郎と視線を交差させることが出来ない切なさを感じさせます。

あなたの容貌で特徴的な長身と眼差しの強さが、この作品の映画的に重要なテーマである「高低差」と「視線」に必要であり、そこに三木監督が二作連続してでもあなたをヒロインに起用した理由があるように思います。小松菜奈という女優はクールビューティータイプの飛び抜けた美貌を持ちながら、「溺れるナイフ」でも見せたような土着的な風土や今作の地方都市のように、都会の洗練とは異なる場所で輝く資質があることもこの作品に影響を与えています。この作品は高校時代から数年後、薫と千太郎が再会し即興で始めたジャズセッションに合わせ、あなたが大きく息を吸って歌い始めようとするその時に物語を終えます。視線を交差させることが出来なかった青春時代を終え、また三人の新しい関係を予感させる素敵なラストシーンでした。

 

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