アレクサンドラ・ボルベーイと「心と体と」
前略 アレクサンドラ・ボルベーイ様
食肉加工会社の管理責任者であるエンドレ(ゲーザ・モルチャーニ)は最近不思議な夢を見る。雪の降りしきる森の中で、彼は牡鹿であり、一匹の女鹿と出会う。二頭はお互いに距離をおきながらも、深い関心を示している。ある日、その食肉加工会社に、食肉の品質検査の為に検査官マーリア(アレクサンドラ・ボルベーイ)が雇用される。エンドレは事務所から外に目を向けると、見慣れぬ女性マーリアを見かける。マーリアは目立たぬよう社屋の陰に身を隠しているが、自分のつま先が陰からはみ出していることに気付くと、そっと足元を引いて、陰の中に身を隠すのだった。
この冒頭のシークエンスの繊細さがまず素晴らしい。これだけのショットで、マーリアの素朴ながら清楚な容姿にエンドレが一目で引き付けられたこと、マーリアが目立つことを嫌う性格であること、それでも人目を引かずにはいられない魅力の一端を持っていることを示しています。監督はハンガリーの女性監督イルディコー・エニェディ。性差を前提に作品を語ることがナンセンスになりつつある現代で女性監督であることに作品の特長を見出すことはもう適切ではないかもしれませんが、それでもこのような繊細なショットを目にすれば、とても男性には撮れないという思いを強く抱きますし、そこに観客をはっとさせるものがあるのなら、やはり作家性の中に女性特有の感覚を見出すのは意味のあることのように思います。ボーイ・ミーツ・ガールという言葉が示す通り、古今東西の恋愛物語においても男性が主語であることは否めませんが、この作品は一応は男性のエンドレを主人公としながらも、同時にマーリアの恋心を描いており、ガール・ミーツ・ボーイと呼びたくなる繊細さに満ちていて、それは女性監督の視点があってこそのものです。ゲーザ・モルチャー二演じる60代近いエンドレは、ボーイと呼ぶには少々くたびれていますが。
冒頭のシークエンスでマーリアを演じるあなたの若く美しい容姿にエンドレが一目見た時から引き付けられたことが示されますが、更に不思議な鹿の夢をあなたもまた毎夜観ていることを偶然知ることになり、あなたへの関心が更に強まることになります。映画は時折、二人の夢のシーンとして雪深い森で巡り合う二頭の鹿を映し出しますが、この鹿の演出も素晴らしいものがあります。疾走する鹿を横移動で捉えたショットや、森に消える女鹿を牡鹿が戸惑いながら見送るショットなど、どうやって撮ったのかと感心するほどです。観客は、二頭の鹿がいつかは交尾を始めるのだろうといらぬ期待をしながら映画を見守りますが、あなたとエンドレが不器用でもどかしい関係を続けるように、二頭の鹿もいつまでたっても交尾を行うことはありません。このもどかしさの中で、観客もまたあなたが演じるマーリアを愛おしく感じ始めます。恐らく幼少の頃からの対人恐怖症を抱えているあなたは、いまだに子供の頃のカウンセラーに相談しており、唐突に恋愛相談を始め、カウンセラーを困惑させます。カウンセラーは戸惑いながらもまずは人に触れることに慣れるよう訓練を始めてはどうかとアドバイスをします。
他者を意識し、その肉体に触れたいと感じること。その延長には当然セックスがあり、二頭の鹿はいずれは現実のエンドレとマーリアとなって交尾を行うことになると観客は予感します。あなたは対人恐怖症であり、好意を抱いているエンドレと容易に触れ合うことが出来ないのですが、そうとは知らないエンドレは、あなたに拒絶されたと思い込み、傷つきます。男女関係の常として、拒絶されれば想いは募る。あなたは恋愛経験ゼロのビギナーであるにも関わらず、本人でも気づかないうちに男性に接近し、近づきすぎれば離れ、焦らすという恋愛のテクニックをいかんなく発揮することになります。ガール・ミーツ・ボーイの物語で、恋愛の成就、ゴールはひとまずは幸福なセックスなのでしょうが、もう子供ではない私たちは、セックスは恋愛のゴールではなく始まりだと知っています。鹿の夢から解き放たれ、エンドレの存在により精神的に子供から大人の女性へと成長したあなたにこれから待っているのも、セックスの後の関係を二人がどう築くかです。神経質ながら未熟であり、愛おしく思わせる存在であるマーリア。アレクサンドラ・ボルベーイという女優の卓越した演技により、そのキャラクターが成長し実体化される様を観客は映画の中で目撃し、深く感動するのです。