池脇千鶴と「半世界」
前略 池脇千鶴 様
阪本順治監督の新作は、「大鹿村騒動記(2011年)」に繋がる田舎を舞台にした人情劇です。中学時代の同級生で、父親を継ぎ備長炭作りを生業とする高村(稲垣吾郎)、中古車販売を営む岩井(渋川清彦)。そして自衛隊員として海外に赴任していた沖山(長谷川博己)が故郷に戻ってくるところから物語は始まります。久し振りに帰ってきたものの既に両親は亡く、廃墟となっている実家に引きこもり、高村や岩井にも心を開こうとしない沖山。後に、沖山が海外赴任を経て心を病んだ部下の死に責任を感じていることが明かされます。これはイラクやスーダンの日報問題で明るみになったように、日々危機にさらされている海外派遣自衛隊の姿であり、阪本順治監督の異議申し立てです。今回、とりわけ阪本監督の手によるオリジナル脚本に熱があり、政治に対する怒りがあり、政治的なメッセージに乏しい現代の日本映画にあって気骨のあるところを見せています。遠い海の向こうの危機が、今この田舎の村にまで続いているということ。それは、沖山が高村に言う「俺は世界を見てきた。田舎に暮らすお前たちは世界の半分も知らない」という指摘に繋がります。
物語はまた、父権と母性という普遍的なテーマを真正面から語ります。高村の息子は、父が自分に感心がないことを見抜いていて、反発します。それは、高村自身が自分の暴力的な父親に感じていたものと同質であり、因果応報です。そして、立ち向かうべき父権とは対照的な母親の存在がこの作品の核です。誰にも心を開けない沖山は、実家で亡くなった母親が、沖山が柔道大会で受賞した際のリボンを大事に取っていたことを知り、号泣します。その母親は沖山が故郷を離れたあとも高村や岩井を訪ね、息子の近況を嬉しそうに語っていた。また、沖山がその死に責任を感じている部下の母親の優しさ。母親の存在が、男たちを「半世界」に繋ぎとめているようです。
その母性を体現し、この作品に生き生きとした活力とエモーションを与えるのが池脇千鶴が演じる高村の妻・初乃です。子供に無関心な高村に苛立ち、反抗期の息子に手を焼きながらも二人を明るく支える姿が感動的で、息子に突き飛ばされた後、床にへたりこんだまま「横に立ったら、あの子、凄く大きくなっていた」と呟く様は観客の心を揺さぶります。「そこのみにて光り輝く(2014年)」でそれまでとは違う境地を見せた池脇千鶴の、更に充実した演技です。映画の終盤、高村は沖山にこう言います。「田舎から出たことの無い俺たちは確かに世界を知らない。だけど、俺にとってはここで生きることが世界なのだ」と。そして男達にとって、その世界は母親が見守り、支えているのです。
~以下、ネタバレを含みます~
物語は最後に思わぬ展開を見せます。炭作りに精を出す高村が、仕事中に倒れ、そのままあっけなく死んでしまいます。その時、初乃は丁度、炭の営業を手伝おうと高村に内緒で取引先に掛け合っていたところでした。葬儀で初乃は取り乱し、ただただ取り乱し、「私も一緒に棺に入れて欲しい」と泣き叫びます。近年の日本映画でも最も悲痛で、感情的なシーンであり、池脇千鶴が比類無きエモーションを観客に呼び起こします。
日本映画のトップランナーでありながら傑作と凡打の差が激しい印象がある阪本順治監督ですが、現在の政治に対する映画による異議申し立て、普遍的な父権と母性、男達の友情と成長を描き、キャリア最高の一本と言えるのではないでしょうか。