大西礼芳と「嵐電」

前略 大西礼芳 様

地方都市を訪ね、路面電車に乗るのは独特の楽しさがあります。路面電車は、地元の人たちの足であると同時に、旅行者にとってはゆっくりとその町や、人を紹介してくれるナビゲーターでもあります。この映画の主人公は、日本有数の観光地、京都を走る路面電車「嵐電」。嵐電のある京都の市井での、そこに住まう人々と来訪者の出会い、別れ、再びの出会いが描かれています。

監督の鈴木卓爾氏は最近では「ジョギング渡り鳥(15年)」「ゾンからのメッセージ(18年)」といった作品で、商業映画から距離を取り、アマチュアを交えた映画作りの過程そのものに力点を置き、映画が映画であることを止める臨界点を見極めるかのような刺激的な作品作りを続けています。未見の方に誤解無きように言い添えると、実験的でありながらエンターテイメントとしても物凄く面白く作れてしまえるのが、鈴木卓爾監督の稀有な才能です。この「嵐電」もまた鈴木卓爾が講師を勤める京都造形芸術大学映画学科の活動の一貫として作られた作品のため、独特のアマチュアリズムは感じさせますが、それ以上に京都という町の息づかいや率直な心情描写が中心となり、前2作とはまた違った新鮮な印象を与えます。

映画では嵐電とその幾つかの駅を舞台に、3つの恋愛物語が語られます。1つ目は鎌倉から京都へ訪れた平岡衛星(井浦新)とその妻(安部聡子)の回想。嵐電にまつわる都市伝説そのままに、二人の関係が疎遠になっていく様が描かれます。2つ目は修学旅行で京都を訪れた北門南天(窪瀬環)が地元の8ミリ少年、有村子午線(石田健太)に運命的な出会いを感じ、猛烈にアタック。その恋の行方やいかに。そして3つ目はゾンビ映画に出演するために京都太秦撮影所を訪れた東京の俳優の吉田譜雨(金井浩人)と、撮影所近くのカフェに勤める小倉嘉子(大西礼芳)の恋。いずれも嵐電にまつわる都市伝説のようなものがきっかけとなり、離ればなれになったり、出会ったりします。

とりわけ、京都弁が喋れない譜雨と、行き掛かり上京都弁での台本の読み合わせに協力することになる嘉子のエピソードが印象的です。嘉子を演じる大西礼芳は、観客たち自身が旅先で未知の人物に出会うかのように、興味深く、幾らかのミステリアスさを纏って映画に登場します。その飾り気の無い表情や仕草は、京都に暮らす地元の女性、という現実感と少々の憧れを抱かせる。私たちの側にもいそうな、ちょっと気になる女性としての佇まいが絶妙です。

嘉子は役者の譜雨に惹かれながらも、それを自分で気付かず(自分の気持ちを打ち消し)、好意を持ってくれる譜雨にも素直になれない。この映画は恋に落ちることの容易さと、それを相手に伝えることの困難さを描いていますが、そんな不器用な嘉子の姿が大西礼芳を通じて、さりげなく、しかしながら痛切に観客に届けられます。

「あなたは私に求めてばかり。なのに、私が何かを聞いても“そんなことはない”とか“わからない”ばかり。否定から入る人と、どう接したら良いの?」「私は私に自信が無いの。だから、人といるのが苦手なの」嘉子のそんな心を揺さぶる率直な台詞が語られ、その後とても素敵な二人のキスシーンが続きます。勿論、その横では嵐電が静かに通り過ぎる。その後、一緒に乗った嵐電で譜雨を見失ってのち、駅のホームで新人監督から、将来譜雨と一緒に映画に出てくれないかと声を掛けられ、思わず涙ぐむ姿。観客の予想通り、嘉子は譜雨と再び廻り合い、映画の撮影現場で先程のシーンがそのまま演じられる。映画の非現実と現実、映画自体と映画作りの境界を示すことで映画体験に揺さぶりをかける鈴木卓爾監督らしい仕掛けです。そしてその境界を行き来する映画装置が、嵐電なのです。

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