瀧内公美と「彼女の人生は間違いじゃない」

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前略 瀧内公美 様

あなたを観るのは「日本でいちばん悪い奴ら」以来2度目ですが、婦警を演じたこの作品での印象があまり残っていないので殆ど初めて本格的に拝見すると言ってよいでしょう。

映画はベッドからもそもそと起き上がり朝食を作るあなたの姿から始まりますが、一向にその顔が横顔のみではっきりとは見えない。いや、見えてはいるのですが何か特徴的な目鼻立ちが認められず、この人は飛び切りの美人なのか、そうでもないのかが判然としないまま物語が進みます。福島で被災し、今は市役所に勤めながら週末には渋谷のデリヘルで働く女の子の役ですので、突然セーラー服に着替えたり、大胆なセックスシーンがあり、顔ばかりかその裸身まで観客に晒しているわけですが、それでも一向にその印象が定まりません。

しかし、髪を後ろにひっつめた地味な公務員と、今風に着飾った渋谷のデリヘル嬢という役を行ったり来たりするその顔が判然としないながら、デリヘルでのきわどい客とのやりとりや、昔の恋人との意に沿わない邂逅、震災から立ち直れずにいる父親への苛立ちを通して、やがてその「彼女」の「佇まい」がくっきりと映画から立ち上がってくるのを私たちは目撃します。

その顔ではなく、そのややぶっきらぼうな背中や歩き方、そのシルエットが作品のテーマでもある、東日本大震災の被災者の、袋小路の状態をそのまま表現しています。あなたは作品の中で笑顔を見せないし、殆ど泣くこともありません。きっと、廣木隆一監督が今の福島に抱いている絶望とわずかながらの希望と、しかし失った時間は取り戻せないという諦念が、あなたが演じたみゆきというキャラクターに反映されているのでしょう。

顔で魅せる女優は世の中にたくさんいますが、佇まいだけで映画になってしまう人は、現在の邦画界には殆どいないように思います。あなたが笑顔を見せるのは、高良健吾演じる三浦が送ってきた生まれた子供の写真を見る時と、震災前に撮られた家族写真の中でだけです。観客がいつまでも心に残るのは、このわずかながらのあなたの微笑みではないでしょうか。

この作品を観た優れた映画作家たちがあなたを放っておくとは到底思えないので、これからも優れた作品に出演するでしょうから、またスクリーンでお会い出来るのを楽しみにしています。

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