趣里と「生きてるだけで、愛。」

前略 趣里 様

「おとぎ話みたい(13年)」で不思議な存在感と終盤の圧巻のダンスシーンで映画ファンの心に残る趣里は間違いなく現在の俳優たちの中でも才能豊かな女優です。その後、都会で同居生活を送る男女二人の物語という、今作と似た構造を持つ「東京の日(15年)」以来、映画での活動が少なく、「彼女の人生は間違いじゃない(17年)」や「勝手にふるえてろ(17年)」でのかなり短い出演しか記憶にありませんので、今作での堂々たる主演女優振りは嬉しいところです。

映画は、躁鬱で過眠症だという寧子(趣里)の自分語りの物語で、彼女のエキセントリックな言動を見守る同棲中の恋人、津奈木(菅田将暉)や津奈木の元カノでこちらもエキセントリックな安堂(仲里依紗)、バイト先のカフェの人々、携帯のみで繋がる姉たちとの、寧子の言葉を借りれば「生きているだけで、ほんと疲れる」日々が描かれます。

社会と上手く折り合いのつけられない若い女性の映画は国内外で多く作られています。最近であれば「レディバード(17年)」や「若い女(17年)」「タイニー・ファニチャー(10年)」がありましたし、前述の「勝手にふるえてろ(17年)」もそうです。今風に言えば“こじらせ女子”ということでしょうが今作の主人公寧子の場合はもう少し深刻で、若さゆえの疎外感というより躁鬱という精神の病に起因しているようです。このような作品は主人公への共感が難しいし、物語の起伏よりも主人公の内面にフォーカスが当たる為、観客の興味を持続させるのが難しいのが常ですが、これがデビュー作だという関根光才監督は寧子の物語に上手く津奈木の職場での葛藤を交え、作品に普遍性を与えています。撮影も16ミリ撮影で、かつ人物のアップ、ロングの配置を工夫し飽きさせないような画面作りをしています。停電の場面を多く活用し物語を転換させる技も上手い。特に、関根監督は脚本も手掛けているようで、原作があるとはいえ磨き抜かれた台詞を脚本に仕上げた手腕は確かなものです。

しかし、この作品の真の魅力は何と言っても趣里の「顔」でしょう。時に子供のように、時に小動物のように、時に狂気を孕み、様々な表情を浮かべる趣里の、奇妙で可愛らしい顔。他のどんな女優にも不可能な、趣里の顔だけが可能な表現になっています。彼女は叫び、怒り、泣き、町を全力疾走し、全裸になる。自分を隠そうとしているのに、他者には見抜かれているんだと、怯える。津奈木に、「津奈木は良いよね、私と別れられるんだから。私は、私とは別れられないんだよ」と泣きながら苦しい心情を吐き出す。今年は映画での目立った活躍が見られなかった菅田将暉の、受けに回った芝居もとても良く、やはり並の俳優ではないと感じさせます。そのような援軍を得て、趣里の映画女優としてのユニークな魅力が存分に発揮された作品です。

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