吉高由里子と「ユリゴコロ」

前略 吉高由里子 様

 

<注意 以下の文章はネタバレを含みます>

あなたの5年ぶりの主演映画とのこと。「僕らがいた」以来ということでしょうか。その後何故あなたの主演映画が撮られなかったのか事情はわかりませんが、改めてフィルモグラフィーを見ると、「蛇にピアス」「婚前特急」「横道世之介」等、中々面白い作品が並んでいますので、空白の5年間は少々惜しかった気がします。

今作はミステリー小説が原作。まず、先天的に殺人衝動を抱える人物を演じるということはイメージを売る女優としても幾らかリスクがあると思うのですが、物語が進むにつれての人格の変化を含め、演じ甲斐がある役だということでしょう。佐津川愛美とのレズビアン的な関係や、耽美な映像で見せるリストカット遊びから、レストランの元同僚を性交中に太腿を白く浮かび上がらせながら殴り殺すなど、あなたの無表情ながら狂気をはらんだ演技はこの作品の見どころと言えるでしょう。

さて、この作品の目指すところが、私にはよくわからなかったことは正直に告白しておくべきかもしれません。プロジェクト全体としては、李相日監督の「悪人」のような、人間の業と救済を描く骨太の作品を指向しているようにも思います。しかしながら、これは原作の責任なのかも知れませんが、物語が余りにも偶然に依り過ぎていて、俄かには納得しがたい展開です。過去、あなたが幾つも殺人を犯しておきながら全く警察に疑われる気配がないことも不自然だし、殺人の現場に居合わせた松山ケンイチとあなたが数年後に偶然に出会うのも信じがたいし、松坂桃李演じるあなたの息子の恋人と、あなたが同じ職場だったのも偶然、と言われても、観客としては「それはないだろう」と言わざるを得ません。このような物語上の破綻を指摘すれば、この作品は失敗作との誹りを免れないのではないでしょうか。

しかし、この物語の破綻ぶりと、それを意にも介さずにクライマックスに向けてアクセルを踏み続ける作品の異様な迫力は、最近の邦画には見られないものです。映画とは、時として物語の整合性よりも出鱈目さで輝くものです。S.フラー監督の「裸のキッス」の無軌道ぶりに唖然としながらも、「映画なんだから無茶苦茶な話でも、面白ければいいじゃないか」と無責任に快哉を叫ぶことこそ、映画を観る醍醐味です。

実際、あなたの20数年後の姿が全く似ていない木村多江だというのも「整形したから」の一言で済ませる無責任さも悪くないし、木村多江が一人でヤクザたちを惨殺出来る凄腕だということも実に出鱈目だし、全てを知った松山ケンイチがあなたをダムの欄干に立たせ、ご丁寧におもりまで用意して自殺を促すのも冷静に考えれば「まず、警察に連絡しては?」と思うのですが、そんなことはどうでも良いではないか、と思わせる魅力がこの作品にはあります。

熊沢尚人監督が出鱈目さに身を任せる快楽をこの映画の魅力にしようと、どの程度自覚していたのかわからないので、これをもってして今作を称揚するのはいささか気が引けるのですが、少なくとも同時期に公開された「三度目の殺人」の、理路整然としながらどこか大人しく面白味に掛ける作品に比べたら、出鱈目だけど俳優陣の感情がほとばしる今作の方が、私には数段魅力的に映ります。行儀の良さを打ち破る映画的なワイルドさが今の日本映画に欠けるのだとしたら、あなたの個性が遺憾なく発揮された今作を久しぶりの主演作に選んだことは成功だったと言えるのではないでしょうか。

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