東京国際映画祭その5 松岡茉優と「勝手にふるえてろ」
前略 松岡茉優 様
あなたの本格的な初主演映画と言っていい今作を、東京国際映画祭のプレミア上映で鑑賞しました。上映後のQ&Aで、プロデューサー氏は「ガールズムービーにするつもりは無かった」と語っていました。女の子が出演していて、監督が女性なら即ガールズムービーと呼ばれることへの反発があるのかも知れませんが、若い女性の自意識や周囲との繋がり、疎外感をミクロに捉えた作品をガールズムービーと定義するなら、「勝手にふるえてろ」は優れたガールズムービーと言えそうです。更に言うなら、舞台あいさつであなたが「宣伝ではラブコメディと謳っているが、撮っているあいだはコメディだとは思っていなかった」と語っていましたが、全くその通りだと思います。これは「拗らせ女子」とかいう言葉でひとくくりにすることが出来ないような女性の自意識の物語です。
私は原作の物語のことを全く知りませんでしたので、観始めたころは、これは女性版の「モテキ」をやりたいのかな、と思いました。しかし、異性との関係性が物語の中心だった「モテキ」とは異なり、今作の焦点はあくまであなたが演じるヨシカという女性の自意識にとどまり続けます。その意味で、大九明子監督が「万人に理解できる作品ではなく、少数でも“ヨシカ”的女性に届くように作った」とQ&Aで語っていたことは正しいのでしょう。作品を観終わった今では「モテキ」ではなく、アニエス・ヴァルダ監督の「5時から7時までのクレオ」に近いように感じています。自分とは何か、絶望とは何かと問いかけながら、それでもキラキラと輝くパリを幸せそうに彷徨ったコリンヌ・マルシャン演じるクレオのように、あなたが演じるヨシカもまた希望や絶望に翻弄されながら楽し気に東京をスキップします。
そう、この作品は同時に東京へのラブレターであるとも感じます。地方出身のヨシカは東京に同郷のあなたの片想いの相手イチがいることを知り東京を美しいと感じます。ただ、この作品のユニークなところは東京でありながらそこは豊洲だったり、奥多摩だったりして、渋谷や新宿に象徴される東京とはかなり趣が違う点です(あなたがニとデートをするクラブとラブホテル街はもしかしたら渋谷かも知れませんが)。今年公開された「夜空はいつでも最高密度の青色だ」や「彼女の人生は間違いじゃない」が東京イコール渋谷・新宿と位置付けていたのとは異なります。これも、渋谷・新宿を東京での他人との繋がり、その希薄さを端的に象徴する場として描いた二作に対し、主人公の自意識に焦点を当てたこの作品では東京は渋谷・新宿である必要が無いと言うことかも知れません。
また、「名前」もこの作品の重要なテーマです。あなたは人の名前を覚えないと石橋杏奈演ずる友人に揶揄されても、陰で同僚たちにあだ名を付けて楽しんでいます。隣人の片桐はいりの名前も、彼女の趣味と同じだと言っては喜びます。その反面、この作品のクライマックスではあなた自身がこの「名前」によって大きな悲劇をもたらされることになります。
ヨシカという女性は絶滅危惧種への愛情といった自分独自の趣味性や価値観を持ちながら、自分は他人と関係性を結ぶような大それた人間ではないと卑下して見せ、かと思えば他人からどう思われているのかには人一倍敏感です。このヨシカを松岡茉優という女優はとてもチャーミングに、嫌味なく演じています。この作品には、渡辺大知、石橋杏奈、北村匠海といった俳優たちが共演していますが、結局のところは殆どあなた一人だけの作品と言っていいでしょう。これほど一人の女優にとことんフォーカスを当てた作品は最近では珍しいようにも思います。大九監督の「万人に受け入れられるつもりは無い」という言葉とは裏腹に、松岡茉優が演じることによってヨシカは憎めない女性として多くの観客の支持を集めることが出来るのではないでしょうか。