アナ・デ・アルマスと「ブレードランナー2049」

以下の文章はネタバレを含みます

 

前略 アナ・デ・アルマス 様

P.K.ディックは好きですが、私は特に「ブレードランナー」という作品に思い入れのある人間ではありません。それでも後世に絶大な影響を及ぼした「ブレードランナー」が提示した近未来のビジョンの革新性は、ポップカルチャー史にも類を見ないエポックだったと思っています。

その革新性を別にすれば、「ブレードランナー」の本質は謎があって、ファム・ファタールがいて、夜が舞台の典型的なフィルムノワールです。その続編は既に大阪という並行世界で「ブラック・レイン」という作品となり実現されているのであり、そう少なくはないであろう観客と同様、私もわざわざ続編を作る必要はないのではないかと思っていました。

「ブレードランナー2049」を観た感想は、「思ったほど悪くない」というものです。「エイリアン」シリーズの前日譚では壮大な肩透かしといった印象しかないリドリー・.スコットですが、監督をストーリーテリングに長けたドゥニ・ヴィルヌーブに譲ったのが吉と出たのか、(長くて退屈だという意見もあるようですが)私は最後まで興味深く観ることが出来ました。

「ブレードランナー」をデッカードとレイチェルのラブストーリーとして捉え直すことで続編を紡ぐというアイディアについては賛否があるだろうし、ご都合主義的な辻褄合わせが無いとは言えないのですが、そもそもが現代ハリウッドからエポックメイキングな「ブレードランナー」への25年後の感謝状といった趣があって、一種の功労賞的な作品なのではないでしょうか。目くじら立てることなく、これはこれで楽しめば良いのではないかと思うのです。

私は2010年に「灼熱の魂」を観て以来ドゥニ・ヴィルヌーブに注目はしていますが、手堅くストーリーテリングは抜群に上手いが、作風が一作ごとに誰かに似てしまう、オリジナリティに乏しい監督という印象を持っていました。今作はまさにリドリー・スコットという模倣をしても誰も文句を言わない監督がいるのですから、かなり自由に監督が出来たのではないかと想像します。レプリカントのラヴがジョシを殺害する場面を窓の外から捉えたショットは魅力的ですし、元来ユーモアのセンスに乏しいと思っていたヴィルヌーブ監督ですが、せっかく出てきたのに右往左往するばかりのハリソン・フォードの描き方はコミカルで悪くないと感じました。

賛否両論があることは最初から分かっていたリドリー・スコットとドゥニ・ヴィルヌーブが「それでもチャーミングな女性を出せば、誰も文句は言わないだろう」と相談したかどうかはわかりませんが、ライアン・ゴスリング演じるKの、バーチャルな彼女ジョイを演じたあなたは、とても魅力的でした。黒い髪と大きな瞳、親しみやすい丸顔の輪郭で、特に日本人好みの容貌では無いでしょうか。デッカードとレイチェルの関係をそのままKとあなたに置き換えているのは明らかであり、ここでも「ブレードランナー」をラブストーリーにしようという意思を感じます。鑑賞しながら、あなたをどこかで観たことがあるなと思いましたが、「ノック・ノック」でキアヌ・リーブスを翻弄する悪女をこれもまた魅力一杯に演じていたことを思い出しました。ポリティカリーコレクトが重視される今の社会で、性的な奉仕さえする”バーチャル彼女”には批判が集まるような気もしますが、私としては映画の中くらいは多少の乱雑さは許されるようであってもらいたいと思います。あなたがKに「愛している」と言って消え去る時間の短さ、慎ましさに、ドゥニ・ヴィルヌーブの演出の冴えを感じました。

 

 

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