篠田麻里子と「ビジランテ」

前略 篠田麻里子 様

ジム・トンプソンのパルプ・ノワールか、日本であれば中上健次の小説世界か。入江悠監督の新作「ビジランテ」は行き場のない閉塞した地方都市と、そこに縛り付けられた人間たちの一触即発のドラマとなっており、ジム・トンプソンや中上健次を連想させます。入江悠監督は「サイタマノラッパー」シリーズで映画ファンの度肝を抜く登場を果たしましたが、その後は原作のある漫画や小説、舞台の映画化が続き、私としては余り満足の行く作品を撮っていないと感じていました。ところが今回、オリジナルの脚本に取り組むことで大きな飛躍を見せ、とても見応えのある作品になっています。舞台を監督の出身地である埼玉県深谷市に設定しており、この土地に対する愛憎の感情が映画にただならぬ気配を纏わせているようです。

まず、冒頭の三人の少年が夜の河を渡る姿を捉えたショットが素晴らしい。ぬめぬめとした河面の光が、これから起こる物語の禍々しさを象徴しています。一郎(大森南朋)二郎(鈴木浩介)三郎(桐谷健太)という三兄弟のネーミングのセンスには首を傾げますが、利権と暴力のドラマは類型的とはいえ、土地と血縁、加えて移民問題も絡めて現代の日本に照準の合ったドラマを展開します。

このドラマでは女性の存在がキーになっています。三郎の風俗店で働く者たちのように、虐げられる弱者としての女性がいて、もう一方にはしたたかに生き抜く女性がいる。あなたは、市議会議員である二郎の妻として夫の出世の為には自らの肉体を差し出すことも厭わない美希を演じており、ドラマを推進する原動力となっています。この映画では、主人公たる三人は、自ら意思を持って行動するということが殆ど無いように見えます。一郎は土地を相続する権利を得て深谷に戻って来るものの、旧家に陣取るのみで何か行動を起こすように見えない。三郎は殆ど巻き込まれるような形で一郎に土地の権利を手放すよう迫るだけで、事態に仕方無く反応しているに過ぎない。二郎は地元の政治家に土地の権利を入手するよう命じられるものの、殆ど何も出来ず叱責を受ける。誰もが土地の呪いにかかったかのように、身動きが取れないようです。

そんな中、あなたは主体的に自らの肉体を武器に地元の政治家を篭絡し、移民排斥を訴える若者を焚き付け焼き討ちに向かわせる。映画全体の中では決して出番が多いわけでは無いと思いますが、主体的にドラマを牽引する存在として重要なファクターとなっています。あなたは野心をクールな容貌に隠して演じており、強い印象を残しています。暴力的な一郎や、地元の政治家たち。パルプ・ノワールとは「誰が町で一番のワルなのか?」を競うジャンルでもありますが、その中心にあなたがいることは間違いなさそうです。

 

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