門脇麦と「花筐/HANAGATAMI」

前略 門脇麦 様

大林宣彦監督の新作「花筐」は監督らしいギミックに溢れた映像と、ここ数作の監督のモチーフとなっている反戦メッセージが込められた力作です。マノエル・ド・オリヴェイラの例を持ち出すまでもなく、映画作家というのは年齢を重ねる毎に表現が瑞々しさを増す傾向にあるようで、79歳の大林監督の今作もまるで初めて映画を撮っているかのような初期衝動を感じさせる生き生きとした作品になっています。(勿論、彼のような手練れが観客のことを考えないわけがなく、極めて大林的なアマチュアリズムを感じさせる映像ギミックには多分に自身のファンへのサービスもあると思いますが)

原作は檀一雄の戦前の小説で、大林監督がデビュー作として構想していたものということですから、念願の映画化ということなのでしょうが、40年の歳月の間に何度も反芻されたであろうモチーフはその反戦メッセージを含め、極めて大林監督のパーソナルな表現に昇華されています。ここまで直截な反戦メッセージは、普通の作家であればもう一段表現のオブラートにくるみそうなものですが、大林監督は合成や大胆な構図を前面に出した自身の映像タッチに乗せ、楽しく平易に語ることこそが映画作家の役割だと言わんばかりのストレートさで観客に訴えかけます。

一方で今作は、生硬な反戦メッセージに終始するだけではなく、大林流の映像ギミックの集大成として楽しむことも出来るし、近年のリアリティを追求した演技の潮流とは異なる俳優たちの演技を楽しむことも出来る。(窪塚俊介、長塚圭史、満島真之介という、20代~40代の彼らが17歳の同級生を演じる、痛快な出鱈目さ!)また、矢作穂香を新たなヒロインに据えた大林美少女映画のアップデート版として観ることも出来、とても間口の広い娯楽作品になっている点が素晴らしい。鑑賞中、私は何度か涙腺を刺激されましたが、それが一体何によるものなのかが自分でも良くわからないのです。きっと、大林監督の熱に当てられたのでしょう。

窪塚俊介演じる主人公俊彦の叔母・圭子(常盤貴子)を中心に、薄命のヒロイン美那(矢作穂香)、その友人であるあきね(山崎紘菜)、千歳(門脇麦)が三人の男たちの青春の日々を共に過ごします。あなたが演じる千歳はその中で病に侵された美那、生き急ぐ従兄の吉良(長塚圭史)の中に死を感じ取り、青春の躁状態にある集団にあって、一人沈鬱な表情を浮かべます。この作品で印象的なシーンはあなたとあきねが、俊彦と鵜飼(満島真之介)が頭に巻いた白い鉢巻きを、口紅を塗って接吻をすることで日の丸にする場面です。作品の映像主題である血の赤と、生と性を連想させる口紅の赤を、戦争に向かう若者たちの死の象徴として日の丸に込める象徴的なシーンになっていました。

また、あなたは美那を写真に収めることに執着します。写真は俊介の両親や満州で命を落とした圭子の夫、圭子の家の婆やの二人の息子と、幾度となく作品に登場しますが、そこに収められているのは死者たちであり、あなたの写真への執着はそのまま死への予感でもあるのです。癌を患っているという監督の焦燥感から来るものなのでしょうか、全篇を貫くのは登場人物たちの過剰なセリフの洪水です。限られた生をしゃぶりつくすかのように自身の心情を吐露する登場人物たちの中にあって、あなただけはそのような過剰なセリフからは離れて、圭子の家の池のほとりにぽつりと坐って静けさの中で友人の死と、日本の背中に迫った軍靴の響きを敏感に感じ取っているようです。

男たちは「戦争なんかに殺されてたまるか」と叫びます。それは大林監督の直接的なメッセージでもあるでしょう。この生と死を巡る物語にあってあなたは一種傍観者的な視点を持っており、戦争によってこの青春の日々が長くは続かないことを知っています。「戦争なんかに殺されてたまるか」。しかし、今の時代においても、いつ何時そうなってもおかしくはないこと、その時に犠牲になるのはいつだって若者たちであることをこの79歳の映画作家は敏感に感じ取っていて、その思いをあなたの沈鬱な表情に投影させているのです。その意味で、生を謳歌し、過ぎ去った日々を追憶する主人公の俊彦だけでなく、あなたもまた大林監督の分身なのかもしれません。

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