石橋静河と「きみの鳥はうたえる」

前略 石橋静河 様

ここ数年続いている、函館を舞台とした佐藤泰志の小説の映画化作品は「海炭市叙景(2010年・熊切和嘉監督)」「そこのみにて光り輝く(2014年・呉美保監督)」「オーバー・フェンス(2016年・山下敦弘監督)」とどれも秀作、力作揃いという印象です。函館との距離の取り方は各作品様々で、死に絶えつつある都市として最も辛辣かつ愛情を持って描いていた「海炭市叙景」(一応は架空の都市となってはいますが)の熊切監督は北海道出身とのこと。今作の三宅唱監督も同じく北海道出身ですので、函館をどう描くのかも関心を持って鑑賞しました。

この作品は語り手である僕(柄本佑)、その同居する友人である静雄(染谷将太)、”僕”の恋人佐知子(石橋静河)という三人の物語です。佐藤泰志原作の他作品と同様、地方都市に繋ぎ留められた若者たちの鬱屈と交流、突然訪れる暴力等の共通したテーマを持っていますが、函館に特別な感情を持って撮っているというより、あくまでもそこで暮らす若者たちを自然に函館の町の空気や陽の光の中で捉えようとしている点が印象に残ります。この作品の白眉は三人が夜遊び、クラブで遊ぶシーンの喧噪でもなく白けているでもない、形容しがたい空気感と引き伸ばされた時間の感覚でしょう。「THE COCKPIT(2014年)」でも延々と編集作業をする姿が捉えらえれていたOMSBのDJに合わせ盛り上がるときもあれば、誰かと親し気に話したかと思うと、ふとまた違う誰かと踊ったり。佐知子を演ずるあなたが音楽に合わせて一人で自由に踊る姿もとても印象的です。そしてそんな夜遊びが終わった後の、夏の日でありながら冷気を感じさせる早朝の車の無い車道、市電での朝帰りなどに函館のリアルな姿が感じられる。また、このクラブのシーンの、ハコの大きさまでもが感じられるような音響づくりに象徴されるような「音」へのこだわりは、この作品のとても重要な特長であるように思います。”僕”の、静雄の、佐知子の声は荒げることなく低いトーンで発せられ、その「声」のやりとり、キャッチボールがこの作品に独特のリズムを生んでいるように思いました。

石橋静河という女優は「夜空はいつでも最高密度の青色だ(2017年)」で生真面目そうな、不機嫌そうな表情で私たち観客の前に登場しました。三宅唱監督の前作「密使と番人(2017年)」でも笑顔を見せることは無かったように記憶していますし、更に言えば現在放送中のNHK朝ドラ「半分、青い。」でも厳格な性格の女性を演じています。ですから、この作品の前半であなたがとても柔らかな笑顔を見せながら”僕”や静雄に接するとき、その笑顔がとても意外で、かつ魅力的で印象に残ります。ただ、あなたの声のトーンはいつでも低いままですし、あなたの笑顔の意味を考える時、それは人がまだ余り親しくない他者に向けて、取りあえずの人間関係を維持するために繕われた笑顔だと気づきます。クラブでの夜遊びが結局のところ人間関係を深化させることなく引き伸ばされた時間でしかないのと同様に、あなたの笑顔もまた何かを留保するためのものです。ですから、この作品が進むに従って、三人の人間関係が深まっていくに従って、あなたから次第に笑顔が消えていくのは当然の成り行きであり、最後にはあなたは笑っていいのか、泣いていいのかわからないような実に繊細な表情を浮かべることになります。

 

 

~以下、ネタバレ含みます

 

 

あなたは最初は「面倒くさい関係は嫌だからね」と言って”僕”と関係を結びます。同じ職場の店長の不倫を清算したいと”僕”に告げたとき、”僕”は「成るようになるでしょ」と言います。そのような距離を置いた人間関係はあなたの微笑に象徴されるように、決定的な答えを回避し続ける、いわば生きるための知恵なのかもしれません。映画のラストシーンで、”僕”に静雄と付き合うからと別れを告げるあなたに、”僕”は駆け寄り、俺は嘘をついていた、あなたのことが好きだと告げます。その声を聴いたときの、あなたの表情が素晴らしい。あなたはこの後、笑うのか、泣くのか?あなたはその言葉を待っていたのか、諦めていたのか?少なくとも、「それ、今言う?」と低いトーンで言葉を発するに違いありません。

 

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