フランシス・マクドーマンドと「ノマドランド」
アメリカ映画を観ていると、よく地方の山間にトレーラーハウスを泊めて暮らす人々が現れ、大抵貧困層として描かれていますが、この映画はそれとは少し違ったかたちでキャンピングカーで放浪する人々を描いた物語です。
大企業の生産地帯として恩恵を受けてきたネバダ州の城下町。リーマンショックの影響で大企業が撤退すると、その町は同時に撤収され、地図からも消されてしまいます。職も住むところも失い、キャンピングカーで放浪する女性、ファーン(フランシス・マクドーマンド)を主人公に、遊牧民(ノマド)のようにアメリカの広大な荒野を放浪をして暮らすキャンピングカーの集団が描かれています。ファーンはその集団で出会った少年に、以前住んでいた城下町について「私が住んでいた家は何の変哲もない社宅だったけど、ただ一つ、その窓から広大な砂漠が見えることだけが普通と違っていた」と、懐かしそうに思い出します。
トレーラーハウス民のように、貧困の為にノマド暮らしを送る人もいるようですが、70年代のヒッピー文化の残滓の如く、物質文明に背を向けて自然とともに生きることを選択して放浪する人もいるようで、語られることの少ない現代アメリカの一つの顔貌を観ることが出来ます。フランシス・マクドーマンド演じるファーンも、住む町とともに職を失い貧困には違いありませんが、手を差し伸べる親族や友人がいない訳でもなく、やはり自ら選んでノマド暮らしを送っています。
ファーンがノマド暮らしを続ける理由は、祖母や、失われた町で共に暮らした亡き夫の思い出から逃れられずに、一人でその思い出と共に生きる為です。アメリカの広大な大地を旅しながらも、その心は極めて私的な一か所にとどまり続けているのです。それは精神的な引きこもりとも言えるもので、心配する姉や、想いを寄せる男性に一緒に暮らすよう誘われても、応じることが出来ません。
ノマド生活の意義を説く教祖のような存在のボブ・ウェルズはじめ、ファーンが親交を深めるリンダ・メイ、スワンキーも実際にノマド生活を送る本人自身の出演だそうで、その自然な演技に驚かされますが、やはりフランシス・マクドーマンドが独特な存在感を放っています。この女優はどんな役でもこなす器用さよりも、役を自分に引き寄せ一種ハードボイルドな佇まいで主人公の生き様を表現するタイプ。「スリービルボード(2017年)」同様、この人が絶えず画面に出ていると私は少々息苦しささえ感じるのですが、今回も見事な素人俳優たちに囲まれながらも、最終的にはマクドーマンドの印象が強く残ります。
監督は注目のクロエ・ジャオ。アメリカの広大な風景を写し取った撮影のジョシュア・ジェームズ・リチャーズの手腕も光ります。ファーンがノマドの少年に語った、亡き夫と毎日見ていた「何の変哲もない社宅の窓から見える広大な砂漠」が、最後に私たちの目の前に広がります。