女の面構え 木下あかりと「あゝ、荒野 前篇」
前略 木下あかり 様
面(つら)構えという言葉は、普通は男に使うものですが、女性にも当てはまるようです。この「あゝ、荒野」のあなたを観て、そんなことを考えました。生き様や覚悟が出ている顔のことですが、今作の、多少手荒なことをしてでも一人で新宿で生き抜く覚悟が出来ている芳子という女性を演じたあなたは、まさに新宿に相応しい「良い面構え」をしています。その顔が似合う場所は、渋谷でも、青山でも、六本木でもないのです。
この、寺山修司の長編小説を映画化した作品で、早々に菅田将暉、ヤン・イクチュン、そしてあなたがスクリーンに登場し、その顔を観た途端に、これは覚悟を持って作品に挑んでいる俳優たちの顔だと確信しました。そして、この作品が曖昧なまま主人公たちの生き方を見守ったり、観客に委ねるようなことはなく、行く末が天国であろうが、地獄であろうがきっちり落とし前を着けるつもりだと直感しました。
この作品は、ほぼ現代を舞台にしています。しかし、東日本大震災を経験し、恐らくは何の感慨も無いままにオリンピックを終えた2021年の東京を舞台にしています。何故このような微妙な時代に設定にしたのか。原作通り60年代の東京を描くには現実感がないのなら、現代に設定すればよいのではないか。私なりに考えると、結局この作品の依って立つところが、リアリティではなく「劇画的な虚構のドラマ」だからではないでしょうか。橋口亮輔監督の「恋人たち」のような、現代の黙示録を描くなら時代を現代に設定し、物語も徹底したリアリティを追求すればよい。しかしこの「あゝ、荒野」という映画は一見リアルに見せながら、劇画的なドラマを中心に据えています。現代の問題を描きながら、比重はドラマの興奮にある。そのことを示すために、ドラマという虚構を端的に示すために、2021年という時代を設定したのです。
そう、この作品は徹底して「劇画」だと思いました。キャラクターの描き方も、感情の爆発も、偶然に過ぎる登場人物たちの出会いも、一見リアルに描いているようで劇画的です。私は映画を観ていて、「まさかそれはあり得ないだろう」という偶然が描かれると鼻白んでしまうのですが、今作に限ってはそのようなことはありませんでした。リアリティよりもドラマがドライブすることを重視するこの作品のマナーを了承したからです。
そのような枠組みの中で、これほど生き生きと俳優たちが演じている作品は最近では稀では無いでしょうか。菅田将暉は勿論才能ある俳優だとわかっていましたが、今作で図抜けた天才だと思いました。前篇最後の、「お前を殺してやる」という咆哮をこれほど感動的に響かせることの出来る俳優はそうはいません。ヤン・イクチュンは「息もできない」のときと同じ人物とは思えない繊細さを見せ、失礼ながらユースケ・サンタマリアがこのような良い役者だとは思いませんでした。岸善幸監督は門脇麦主演の「二重生活」でも物語、演出の巧みさを見せましたが、この長尺をコントロールしながらドラマの熱さを失わない手腕は並大抵ではないと感じました。
そしてあなたです。大胆なベッドシーンは勿論、新宿で生きる女の覚悟を演じきっていて見事です。あなたは新宿の雑居ビルに住み、菅田将暉演じる新次を部屋に招き入れます。そこで殊勝に愛を告白する新次に対し、あなたは「私はあなたが思うような価値のある人間ではない」と言います。普通の女性なら、泣く場面かも知れません。しかし、新宿で覚悟を決めて生きる女は泣きません。泣かずにコンドームを手に取り、菅田将暉との性交に応じます。
登場人物たちのドラマがいよいよ熱を帯びるとき、この作品は前篇を終えます。実に良いところで終わるので、なぜ5時間で公開しないのか、と文句を言いたくなるところです。後篇も同じ熱量で描き切るなら、今年を代表する日本映画の登場になるでしょう。本当は後篇も観てから作品について語るべきなのでしょうが、今日観たあなたの「面構え」を早く捕まえておきたくて、筆を執った次第です。