広瀬すずと「先生!好きになってもいいですか?」

前略 広瀬すず 様

高校の入学式で始まり卒業式で終わるこの作品は、女子生徒の教師に対する初恋が恋愛に変わるまでを描いた典型的な純愛映画です。あなたの演ずる主人公、響の純情は現代の恋愛観でいえばいささか古臭くも見えるのですが、理解出来ないかと言えばそうではなく、誰しもが経験する恋愛の喜びや苦しみを描いているため、普遍的な純愛物語となっています。

三木孝浩監督の演出はいつもながら安定しており、安心して観ることが出来ます。焦ることなくじっくりとシーンを描いていく三木監督の演出のタッチを感じることが出来ますし、三木監督とのタッグが長い山田康介カメラマンの手による画面作りは極めてクオリティが高い。フィックスを中心とした撮影ながら、注意して観るとゆっくりとカメラが移動し、人物を注視していることがわかる。音響のメリハリも効いていて、ドラマを盛り上げます。このような高い技術と演出に支えられ、映画女優としてのあなたの能力が最大限に発揮されていると感じました。

あなたは、「海街Diary」以来、「四月は君の嘘」「ちはやふる」「チア☆ダン」といった青春ものと「怒り」「三度目の殺人」のような複雑な心理を抱える人物を演じる作品を意識的に交互に選んでいるように思えます。今作は、青春ものには違いないものの、明るく元気いっぱいの女の子ではなく、内気だけれども意志が強い女子生徒という役柄を演じており、「海街Diary」のすずに近いキャラクターに思えます。このような同じ年頃の若い女性を演じながら、役柄の演じ分けが自然な形で出来てしまうあなたという女優の技量に改めて驚かされます。

さて、この作品には、恋愛を巡る生徒と教師の立場の違いが中心的に描かれます。森川葵が演じるクラスメートがあなたに言うセリフ「世の中に好きになっていけない人なんかいないよ」に代表される、いわばティーンエイジャーの「恋愛原理主義」が大人たちの社会通念を押し切る形でこの作品は進んでいきます。勿論、生徒と教師に限らず社会の中で「好きになっていけない人」は数多くいるわけですが、生徒たちは「好き」の一点突破で教師たちを追い詰めます。土俵際の比嘉愛未演じる女教師は「恋愛感情が本気なら、偉いとでも思っているの?」と彼らをたしなめますが、虚しく響くだけです。中でも純朴な一途さという兵器を携えた響が恋愛原理主義のテロリストとして生田斗真演じる伊藤先生に襲い掛かります。その響をあなたが演じることで、テロの効果が飛躍的に高まっていることは間違いがありません。

か細い声で、時には涙を見せながら、時には意を決し、恋愛にひたむきな主人公に対し、観客は伊藤先生同様に、「こんな女の子に告白されたら、いくら教師でも仕方無いか」と観念することになります。この作品の感動的な部分は、殆どがあなたの演じる主人公のひたむきさ、後悔や畏れの感情から来るものです。あなたの笑顔や涙により観客の感情は突き動かされる。あなたが懸命に自転車を走らせ生田斗真演じる伊藤先生のもとへ急ぐとき、観客は涙を抑えることが困難です。脚本上の台詞ではなく、表情やしぐさといった演技の力で観客を感動させることが出来るのは並大抵のことではないと思いますが、広瀬すずという映画女優はその技量を持ち合わせているのです。

今作のような純愛映画は、若者がいる限りいつの時代でも需要があるのだと思います。しかし、それを演じるに相応しい映画女優がいつの世にもいるわけではない。女優としては今の年齢でしか演じることが出来ない役柄を的確に選択し、しかもそれを演じ切ることが出来る技量を持つ広瀬すずという女優を、頼もしく思います。

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