レティシア・ドッシュと「若い女」
前略 レティシュア・ドッシュ 様
左右の眼の色、虹彩が違うことをオッド・アイと呼びます。「奇妙な目」は、社会との違和感を表す”しるし”として創作に登場したり、観客の創造力を掻き立てる存在でもあります。あなたのオッド・アイが天性のものか、カラーコンタクトによるものなのかはわかりませんが、この作品でのパリを彷徨う孤独な女性、世界から見放されて一人ぼっちであるように感じている女性には相応しい”しるし”であるように思えます。
物語は、主人公のポーラ(レティシュア・ドッシュ)がアパートのドアに盛大に頭突きをくらわせ、運び込まれた病院で医者に対して散々悪態をつくシーンから始まります。どうやら、あなたはそのエキセントリックさが災いしてか、恋人に追い出されたらしい。行き場のないあなたが、恋人が飼っていた猫のムチャチャを抱いて、泊まる場所や職を求めてパリの街を彷徨う様が描かれて行きます。私たちは、余りにも口汚く悪態をつくあなたを最初に見せられたものですから、この主人公の女性はどういう人物なのだろう、果たして映画の終わりまで付き合っていられるような人物なのだろうか、と不安になります。実際、題名の「若い女」から連想されるような溌剌さからは遠ざかりつつある風貌であり、作品では29歳とウソをつき、31歳が役の上での年齢だと判明します。勿論、31歳だって十分に若いのですが、女性にとって若さが何かの意味を持つ時期の岐路に立たされてもいて、この映画でも若く男性に依存していればそれなりに生活が出来ていた女性がそれだけでは立ち行かなくなっていく姿を描いており、「Jeune Femme,若い女」というのは平易ながらこの作品をよく表している題名です。
あなたは、街で仲良くなった女性の家に転がり込んだり、子守として住み込みで働いたり、下着売り場で売り子になったりして日々をやり過ごしますが、あなたが「レンガ色」だと思うコートを恋人には「人参色」と言われたり、医師には「あなたには話せる友人はいないのか?」と聞かれ「たくさんいる、現に今あなたと話している」と苛立ったり、あなたのことを幼馴染だと思い込む女性は、実は勘違いだったりして、「自分が思っている自分と他者が思う自分」に、微妙だけれども、決定的な、後戻りできない差が生じていきます。それは若さが特別な意味を持っていた時期を過ぎつつあるあなたが直面している事態だし、あなたはそのような事態をウソで回避し続けようとしますが、やがてどうしようもない綻びが見え始めます。
最初は悪態をついて観る者に嫌悪感さえ感じさせるあなたが、このような事態に直面しナイーブさ、弱さを見せていくにつれ、観客は自然にあなたを応援するようになります。あなたが彷徨う雨に濡れたパリの街は、生活感や世知辛さが身に染みる迷宮でもありますが、下着売り場のマネージャーや、子守を任された女の子との交流は心温まりますし、ケガをしたムチャチャを連れて行った動物病院でおずおずと治療費を払えない、というと「いつでもいいから」と獣医が言うなど、冷たいだけではない「世間の風」が感じられます。
冒頭、オッド・アイについて述べましたが、私がそれに気づいたのは、実は、ラストシーンでのあなたの決然とした表情のアップでした。パリの街を通り抜けて、一人でも生きていこうと決めた女の子。その瞳に見られる、他者とは違うアウトサイダーの”しるし”。この物語もまた「不思議の国のアリス」の変奏だと知るのです。