ここではないどこか チャロ・サントス・コンシオと「立ち去った女」
前略 チャロ・サントス・コンシオ 様
昨年のベネチア国際映画祭で金獅子賞を獲ったラヴ・ディアス監督の日本初上陸作「立ち去った女」。私はこの監督の作品を観るのは初めてですので、この怪物的映画作家と喧伝される監督を半ば品定めするような心持ちで鑑賞しました。平均で5~6時間はあるという監督作の中でも短いほう、と言われる今作はそれでも4時間近くあり、フィックスで殆ど1シーン1カットの長回しで撮られたモノクロの映像は観る前から観客を選別するに十分ですが、結論から言うと明確なテーマを持ち、非常にわかりやすい作品でした。
この作品のおおまかなあらすじは、30年間牢獄に入れられていたあなたが演じる主人公のホラシアが、実は冤罪で昔の恋人ロドリゴに罪を着せられていた。あなたは出所し、復讐するためにその男の住む町に暮らし始める。そこで出会う卵売りや乞食、ゲイたちとのやりとりを描いていきます。
このように復讐譚として語られる物語ですが、私の眼には宿命的なメロドラマのようにも映りました。復讐に向かう一方で、あなたがこの過去の恋人を心底憎んでいるのか、判然としません。恐らくそうではないのでしょう。協会に通うロドリゴを遠目から観察するあなたは、憎しみの感情よりはむしろノスタルジックな憧憬に支配されているように見えますし、あなたを見かけてその姿を追うロドリゴからは昔の恋人に遭遇したときめきが感じられます。彼は神父に後悔の念を口にしさえします。あなたは復讐の為拳銃を入手しますが、悲嘆にくれるあなたがロドリゴにその銃口を向けることは無いだろうことは、観客の目には明らかです。あなたを罠にかけたのはロドリゴだと知ったのはつい最近に過ぎず、30年間監獄の中であなたの心に住んでいたのは夫ではなく、ロドリゴだったのではないでしょうか。
この作品の最も感動的なシーンは、あなたが演じる主人公と、成り行き上その身を助けることになるゲイの青年が、深夜に幾つかのミュージカルナンバーを歌うシーンです。あなたは「ウェストサイド物語」のナンバー「Somewhere」を歌います。あなたは30年間牢獄に閉じ込められていたということですから、「ウェストサイド物語」が公開された1961年は、丁度あなたが二人目の子供を産む少し前くらいでしょう。恐らくあなたは既に亡くなっている夫と「ウェストサイド物語」を観に行ったのだと思われます。
「Somewhere」では、結ばれない恋人たちが「どこかに、私たちに相応しい場所があるはず」だと歌うナンバーです。あなたは、30年間監獄の中でこのナンバーを幾度も心の中で口ずさんだ。そして「ここではないどこか」を共に希求する相手がロドリゴであるなら、この復讐譚はとても悲劇的なものだと言わざるを得ません。
初めてみるラヴ・ディアス監督作ですが、特徴的な長回しによる1シーン1カットは、知らないうちに私たちが当然のように受け入れている映画的な時間の端折り方にあらがうものであると感じました。本当に人が人と話すとき、人がやって来るのを待つとき、人が倒れているのを助け上げる時、端折らずに実際にかかる時間をかけてシーンを描いています。そのような現実をありのままに捉えようとする姿勢と、「ここではないどこか」を希求するテーマがこの上ない映画的興奮を誘う作品です。
ミュージカルナンバーを歌うこのシーンで、あなたは初めて晴れやかな笑顔を見せます。ここではないどこかを求めるという意味ではゲイの青年も同じであり、このシーンに相応しいナンバーです。この街から「立ち去った女」が向かう先もまた、「ここではないどこか相応しい場所」であるでしょう。