三浦透子と「ドライブ・マイ・カー」

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私の変な思い込みにより強く印象に残ったカットのことから、この文章を始めてみたいと思います。

※一部映画のラストシーンに触れていますので、ご注意下さい。

映画「ドライブ・マイ・カー」の初盤で、演劇「ゴドーを待ちながら」の出演を終えた主人公の家福(西島秀俊)の楽屋に、妻の音(霧島れいか)とその仕事仲間の俳優・高槻(岡田将生)が訪れます。初対面の高槻との挨拶もそこそこに、家福はこれから着替えがありますから、と素っ気なく二人を楽屋から追い出す。そのときに、家福が来ていたベストを少し乱暴に椅子に脱ぎ捨てるごく短いカットが差し込まれます。おそらく、妻と高槻との間の親密な空気を敏感に感じ取った家福の苛立ちを暗喩的に表したカットであり、いわば映画ならではの”記号”です。私は、きっとこの後にも家福が高槻に対して何かを投げつけるようなカットがこの対比として現れるだろうと予想しながら映画を観続けます。そのようなカットは、この後現れるのでしょうか?もし無いのだとしたら、あえて強調されたこのカットは一体どんな意味があるのでしょうか?

濱口監督は、映画においてコミュニケーションの在り方を問い続けている映画作家です。東日本大震災の被災者の声を丹念に追った「なみのこえ(2013年)」ではとにかく取材対象の声に耳を傾ける映画作りが印象的でした。今作「ドライブ・マイ・カー」では、「他者の声に真摯に耳を傾けること」が作品の大きなテーマとなっています。妻が吹き込んだ「ワーニャ伯父さん」のセリフを通して、テキストの声に耳を傾ける重要さが家福から何度も語られます。変奏として、韓国手話の演者ユナ(パク・ユリム)が芝居を演じることで声とコミュニケーションの関係が顕在化します。そして、家福の大きな心の傷は、自分が妻の声に耳を傾けることを避けてきたことです。二人の関係が壊れてしまうことを恐れ、自分の感情を押さえ妻の声を聴くことを避けて来たことが、妻の死につながってしまったという後悔。

この映画の原作である村上春樹の作品世界も、一貫して現代人の不安とコミュニケーション回路の機能不全を描いているので、こうして一つの作品となった成果を見ると、そのテーマ性からも濱口監督との相性は良かったのだと思います。私はこの映画を観ながら、村上春樹の初期の中編「1973年のピンボール」の中の台詞を思い出していました。住み慣れた街を離れようとする鼠という人物。そのことを常連のバーのマスター、ジェイに告げると、ジェイはあんたの気持ちはわかるような気がする、と言う。鼠はこう答えます。「なぁ、ジェイ、駄目だよ。みんながそんな風に問わず語らずに理解し合ったって何処にもいけやしないんだ。」

この映画における家福も、いわば問わず語らずの関係に安住し、聞くべきこと、語るべきことを避けてきたために最後には妻を失ってしまいます。この作品のひとつのクライマックスと言える、家福と高槻の車中の会話の中で、妻を理解していたのは20年間一緒に過ごした自分ではなく、妻のテキストの声に耳を傾け続けた高槻の方だったのではないか、自分は妻の声を聴くべきだった、今でもその後悔から逃げているのではないか、という思いが家福を揺さぶります。

冒頭私が予想した、家福が高槻に何かを投げつけるようなカットは現れませんでした。感情を言葉にしない・出来ない態度こそが家福を追い詰めていったのであり、投げつけられたベストは、家福の苛立ちを象徴すると同時に、決定的な後悔のしるしとして強調されるべきカットだったのです。それはまた映画の文法の「問わず語り」を見つけて充足してしまう私のような映画ファンへのメッセージでもあるかもしれません。

最後に、三浦透子について。この作品では俳優陣が素晴らしく、彼らの資質は当然のことながら濱口監督の演出には息を吞むほかないのですが、特に三浦透子の存在はこの作品の大きな魅力と言えます。三浦透子が演じる渡利みさきは、村上春樹の原作では次のように描写されています。

”身長は165センチくらいで、太ってはいないが、肩幅は広く、体格はがっしりしていた。(中略)たっぷりとした真っ黒な髪は邪魔にならないように後ろでまとめられていた。彼女はおそらくどのような見地から見ても美人とは言えなかったし、大場が言ったようにひどく素っ気ない顔をしていた。(中略)目は大きく、瞳がくっきりしているが、それはどことなく疑り深そうな色を浮かべていた。”

まさに映画の中の三浦透子そのものだと思いませんか?西島秀俊演じる家福や岡田将生演じる高槻は原作とかなり印象が違いますが、三浦透子の存在が、(勿論容姿だけではなく)村上春樹の小説世界と濱口竜介の今作とを、精神的に強く結びつけるキーであるように感じます。

最後のエピソードについては解釈が色々考えられそうですが、私はこのように思うことにしました。家福は、ユンス(ジン・デヨン)に誘われ、今度は韓国釜山の演劇祭に参加している。広島同様にドライバーが必要だと言われ、みさきを帯同した。ところがコロナで演劇祭は延期となり、家福とみさきは釜山のユンスの家に泊まり続け、そこはいつしか韓国の演劇人たちが集まるコミューンのようになってきている。みさきはユナに誘われ傷の整形手術を受け、演劇の手伝いをしながら暮らしている。家福から、赤いSAABは自由に使って良いと言われて。今もみさきは韓国で新しい人生を歩んでいるのだと思うと、私の心は安らぐのです。

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