水原希子と門脇麦と「あのこは貴族」

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東京の富裕層・名家と地方出身者。日本社会の目に見えない階級層をテーマにした作品と聞いて、私は真っ先に、この映画が高低差を駆使したキャメラアングルと演出で撮られ、社会的な身分差、上下関係が視覚的にも強調されるに違いないと直感するのですが、この「あのこは貴族」という作品は、そのような演出こそ避けるべきと言わんばかりにあくまで水平の位置関係に拘り、キャメラを水平移動させていきます。冒頭から、主人公の一人・華子(門脇麦)が乗ったタクシーが滑らかに夜の東京を走る姿が捉えられます。もう一人の主人公・美紀(水原希子)もまた、自転車で東京の街を走り抜け、その姿を横移動のキャメラが捉える。

この「水平移動」は物語の構造でも見られ、東京の裕福な家庭で育った華子と唯一心を許す友人・逸子(石橋静河)の関係は、そっくりそのまま地方出身の美紀とその友人・里英(山下リオ)の関係に水平移動し、相似形を為しています。そこで感知されるのは、上に行くことも出来ず、水平移動しか出来ずにそれぞれの社会や境遇に閉じ込められていることに対する閉塞感です。

この作品で描かれる富裕層は、外部の者を見下すような態度は取らず、それもまた水平の視線で描かれます。裕福な華子が、更に上を行く名家の出身である幸一郎(高良健吾)の家に招かれる場面では、幸一郎の親族と畳の上で同じ目線で対面する。橋を渡る華子がふと目を向けた先には、楽し気に自転車の二人乗りをする若い女性たちがいて、水平の位置のふたりに、おずおずと手を振る。その外部に対してあくまで水平な視線が、逆に閉塞感と生きづらさを生じさせているように思えます。人を見下しているのはむしろ居酒屋でうるさく華子に話しかける男だったり、女性を見下したような態度をとる華子の姉(篠原ゆき子)に紹介された男だったり、いわゆる庶民の方です。

この作品は生まれながらにして東京の富裕層の華子と地方出身の美紀の二人を主人公とし、幸一郎を介して接点を持つのですが、二人が邂逅する場面はさほど多くありません。美紀の住むワンルームマンションを訪れる華子。二人は東京タワーが見えるベランダで、並んで肩を寄せ、アイスキャンディーを頬張り、ここでも二人の関係が上下ではなく水平であることが示されます。人物たちの水平の関係は最後まで保たれ、ラストシーンでも同様です。別離の後に偶然出会った華子と幸一郎が視線を交えますが、華子は階段の中段にいて、幸一郎はホールの桟敷席にいて、ここでもあくまで視線は水平に保たれているのです。

撮影は佐々木靖之。濱口竜介の「なみのこえ(13年)」や「寝ても覚めても(18年)」、真利子哲也の「ディストラクション・ベイビーズ(16年)」、菊地健雄の「ディア―ディア―(15年)」「望郷(17年)」など現代日本映画を支える名手の一人で、今作の撮影でも静かながら抑えがたい哀感を感じさせます。

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