アガト・ルセルと「TITANE/チタン」

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「RAW~少女のめざめ~(2016年)」という作品を強く記憶している映画ファンは多いのではないでしょうか。私もそのひとり。少女が繰り広げるカニバリズムをテーマとしたこの作品は、観客が悲鳴を上げる程の肉体的な痛みの描写を伴いながら少女の大人への通過儀礼を描いており、例え食されようとも自身の肉体を相手に差し出しても構わないという境地まで描いた、純度の高い愛の物語でもありました。監督のジュリア・デュクルノーは、これが監督第一作。そして5年振りとなる新作が濱口竜介監督の「ドライブ・マイ・カー(2021年)」やレオス・カラックス監督の「アネット(2021年)」といった話題作を抑え、カンヌのパルムドールを受賞したというニュースを聞いて、やはり特別な才能を持った監督なのだな、と今作「TITANE/チタン」の日本公開を心待ちにしていたのです。

「TITANE/チタン」は、父親の運転する車の事故により、子供の頃に頭がい骨にチタンを埋め込まれた女性・アレクシアの物語です。彼女は長じてその肉体に多様なタトゥーを刻み、アンダーグラウンドな車のイベントで煽情的なダンスを披露するカルト的な人気ダンサーとなります。埋め込まれたチタンが車に感応するかのように、彼女は鋼鉄の塊である車にのみエクスタシーを覚え、車と「性交」をします。殆ど言葉を発さない彼女は憎むもの、愛するもの、煩わしいもの全てを殺戮し、両親を家ともども焼き払い、警察の手を逃れるために、街角の手配書で見た少年の行方不明者に成りすまします。

こうあらすじを書くと全く支離滅裂な物語であり、観客もまた冗談なのか本気なのかわからない、先の読めない展開に振り回されます。前作「RAW」の、空腹に耐えかねて切断された指を食べるシーンでも、観客が痛みに顔をしかめると同時に思わず笑ってしまう描写がありましたが、今作でも海辺の邸宅での殺戮シーンや、行方不明者に顔を似せるために自分で自分の鼻を折るシーンなど、狂気じみていながらも笑えるシーンがあり、デュクルノー監督のこの優れたユーモア感覚のようなものが、彼女の映画を単に残虐描写に満ちた奇怪な作品というだけではなく、愛らしいチャーミングなものにしています。アレクシアを演じるのは、これが映画初出演だというアガト・ルセル。ユニセックスな風貌で、彼女の肉体を飾る無数のタトゥーは、実際に本人のもの。性差を越え、加虐者でありながら同時に被虐者でもある多義的なキャラクターを類まれな存在感で演じており、圧巻です。また、アレクシアの同性の恋人をギャランス・マリリエールが演じており、彼女は「RAW~少女のめざめ~」ではヒロインを演じていました。しかも前作と役名が同一であり、デュクルノー・ユニバースのようなものが小規模に展開されています。

行方不明の少年の父親ヴァンサンは、アレクシアと面会し、「自分の息子は一目見ればわかる」と言いながらもアレクシアを息子と誤認し、家に連れ帰ります。ヴァンサンは消防隊の隊長であり、肉体の鍛錬に余念が無い、いわばマチズモを象徴する存在。髪を剃り乳房をテープで押さえつけ、車と性交し融合することで性差や人間としての肉体の境界さえも曖昧にするアレクシアと対比される存在です。アレクシアが車との子(!)を宿し、その腹が膨れ性器から黒々としたオイルを流し始め、いよいよ物語は常識を軽々と超えていきます。

この作品には、アレクシアの二つのダンスシーンが象徴的に対比されています。冒頭、スポーツカーにまたがり、煽情的に腰を振る「女」アレクシア。終盤、消防車に上り、これまた煽情的にダンスを踊る「少年」アレクシア。前者は男たちを虜にし、後者はドン引きさせます。同じ人間が同じように振舞っているのに、社会的なカテゴライズにより他者の反応が異なる。このことは、作品のテーマに大いに反映されているように感じます。

~以下、一部ネタバレを含みます~

ヴァンサンはアレクシアの存在を拒否し、やがて受け入れます。そこには孤独な人間同士の魂の交感のようなものが見て取れますが、それだけではありません。この作品のテーマは、一人の人間が社会的な存在であることを辞め、極限までインディペンデントな存在であることへの試みです。男性/女性というカテゴライズを超え、人間/機械を越えた存在にまで比喩的に拡大し、その究極の個人の誕生を祝福すること。ヴァンサンはアレクシアの肉体から新しく生まれた「機械人間=ニューヒューマン」の誕生を祝福し、守り抜くことを誓います。一種陳腐化したSFのようなフォーマットですが、男女差だけではなく人間の根源的な平等が叫ばれ、様々な試みがなされる現代において、この作品の態度・アティチュードは、極めて今日的であると言えます。

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